マドリエはLIXILの厳しい基準をクリアした住まいのプロ集団です
マドリエNET 全国版 > 関東(埼玉・千葉) > マドリエ船橋中央 | 株式会社 相川スリーエフ 本社
マドリエ船橋中央 | 株式会社 相川スリーエフ 本社
自社サイト
マド本舗
採用情報
お問合せ
お電話
会社案内
商品情報
施工例
イベント
キャンペーン
2024.01.17
相川スリーエフ
シェア
ARTICLE
美咲は裕福な家庭の一人娘として、愛情と音楽に囲まれた裕福な家庭で育った。父は世界中を駆け巡る実業家、母もまたドイツを中心に世界で活躍するピアニストだった。美咲を授かってからは、母は帰国し、音楽大学でピアノの講師として、多くの音楽家を育ててきた。
母のもとで、美咲は2歳から音楽に親しみ、母と同じくピアノに驚くべき才能があった。5歳の時にはショパン国際コンクール in アジアで入賞を果たした。そして、出場条件の16歳になれば、ショパン国際ピアノ・コンクールへの出場が約束されていた。
しかし美咲の夢は。 彼女はレッスン中に指の関節に異常を感じるようになった。練習のしすぎかと思い込んでいたが、ある日、突然の高熱と目眩に襲われ意識を失った。 目が覚めた時には病室にいた。
検査の結果「血液の病気」白血病と診断された。美咲は受け入れることが出来なかった。1ヶ月後に出場予定のコンクール、海外への留学、音楽家への道が閉ざされるのだろうか。頭の中は真っ白になった。 しかし、それ以上に 命の危険を知った両親は、暗闇の中でもがき苦しんだ。
この診断によって、家族に深い打撃を与え、彼女の日常と未来に暗い影を落とした。
両親は美咲を救おうと必死になった。父は海外の知人を通じて名医を探し続けた。海外でドナーを探すべきと考えていた。一方、母は国内で信頼できる医師に託すべきという強い考えを持っていた。美咲の母 美智子の父が医師であるからだ。
2人は治療方針を巡り対立してしまう。 こんなにも仲が良かった2人が対立するなど予想できないほどだが、大切な娘を守るためには仕方のないことなのかも知れない。
結局、母 美智子と、その父である三郎が治療方針を決めることになった。美咲の父、隆二は納得がいかず、しばらくの間、2人は別居を選んだ。父と母は交互に美咲の面会に訪れ、彼女の健康と幸福を願った。 しかし、徐々に家族としての絆は失われて行くのであった。
美咲は自分を責めた。病気にさえならなければ、大好きな両親が別居するなどあり得ないし、コンクール出場や音楽家への道も閉ざされなかったのだから。しかし、今は必死で病気と戦うことを選んだ。これを乗り越えれば全てが解決すると信じて。
一方、大輝の家庭環境は全く異なっていた。彼は3人兄弟の末っ子で、両親は元気で仲が良く、父はかつてサッカー日本代表選手として活躍していたが、決して裕福な家庭ではなかった。大輝の母は、大輝が生まれた直後に天国に旅立ってしまった。だから、大輝は母を知らない。でも、いつでも母の写真をお守りに入れていた。母と一緒にいるために。
大輝は、父の影響で幼い頃からサッカーに打ち込んでいた。彼の夢は、大学進学を機に海外に飛び出して、海外でプレーすることだ。
美咲と大輝の生い立ちと現在の環境は対照的であったが、その違いが彼らを互いに引き付けた。美咲の音楽と病気との闘い、大輝のサッカーへの情熱は、互いに深い共感を生むものだった。なかでも2人がLINEで盛り上がる話題は、海外留学のことだ。
大輝は美咲の病名をまだ知らない。美咲は医師から「きっと治るからね。」と聞いていた。しかし、完治するには様々な難関が待ち受けており、そう簡単なことではないことを両親は知っていた。
COMMENT
*当サイトのフォームを利用した当社への売り込みの一切をお断りしています。 *半角英数字のみの入力はできません。 *いただいたコメントはサイト管理者による確認後に反映されます。
当社は”LIXIL製品施工マイスター”達成のPROショップです
窓とドアの専門店として、当社が加盟するマド本舗サイトはこちら
当社最寄りのリクシルショールームをご紹介
超お得にリフォームできる補助金をご紹介
50年の歩みとマドリエとは?をご紹介