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マドリエ美郷 | 羽後トーヨー住器(株)
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2009.02.20
しなまゆ∮のこじつけ日記(完)
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−1月−
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■元日⇒新年の幕開けの日。年のはじめを祝う国民の祝日。 1948(昭和23)年7月公布・施行の祝日法によって制定された。
年のはじめを祝う
■元旦⇒「旦」は「日の出・朝」の意味で、「元旦」とは1月1日の朝を指す。
■初詣⇒年が明けてから、初めて神社仏閣に参拝すること。 氏神様やその年の恵方に当る方角の社寺にお参りをして、その年の無事と平安を祈る。 「恵方」とは、その年の福徳を司る神「歳徳神」の所在する方角のことで 何事をするにも最も良いとされる方角のことである。昔は大晦日の夜に社寺にお参りして 一度家に戻り、元日の朝になって再び参詣していたが、今では大晦日の夜から 出かけて行って、社寺の境内で元旦を迎えるという形も見られる。
■年賀⇒新年の挨拶を述べる為、親戚や知人、上司、近所の人々等を訪れる。 現在では年賀状でその代りをするようになっている。
■若水⇒元日の早朝に井戸から水を汲んで神棚に供えること。またその水のことも「若水」と言う。 朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に会っても口をきかないしきたりだった。 若水は一年の邪気を除くと信じられ、神に供えた後その水で家族の食事を作ったり 口を漱いだりお茶を立てたりした。
■若潮・若潮迎え⇒元日の早朝、潮水を海から汲んで来て神に供える。
■四方拝⇒天皇が、午前5時半(昔は寅の刻)に束帯を着て神嘉殿の南座(昔は清涼殿の東庭)に 出御し、皇大神宮・豊受大神宮・天神地祇・天地四方・山陵を拝し 宝祚の無窮・天下太平・万民安寧を祈る儀式。
■新年⇒1948(昭和23)年までは「新年」という祝日で 四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていた。
■少年法施行の日⇒法務省刑事局が実施。1949(昭和24)年、昨年7月15日に公布された 「少年法」が施行された。20歳未満の少年の健全な育成を目的としている。
■神戸港記念日⇒1868年1月1日(旧暦1867(慶応3)年12月7日)、神戸港が 外国船の停泊地として開港した。神戸港は、横浜港と並ぶ 日本の二大国際貿易港で、神戸市発展の原動力となった。
■鉄腕アトムの日⇒1963(昭和38)年、フジテレビで『鉄腕アトム』のテレビ放映が開始された。 初の国産アニメだった。
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■初夢⇒昔から初夢で1年の吉凶を占う風習がある。 初夢の夜は大晦日、元日、正月2日、節分等があるが、一般には正月2日の夜の夢が 初夢とされている。 室町時代から、良い夢を見るには、七福神の乗った宝船の絵に 「永き世の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな」という 回文(逆さに呼んでも同じ文)の歌を書いたもの枕の下に入れて眠ると良いとされている。 これでも悪い夢を見た時は、翌朝、宝船の絵を川に流して縁起直しをする。
■初荷⇒新年の商い始めの荷物。現在では仕事始めの4日ごろに 荷物を送ることが多くなっている。
■初売り・初商い⇒商店等は2日に店を開けて初売りを始める。 最近では元日から店を開ける所も多くなって来た。
■書初め⇒年が明けて初めて書や絵をかく行事。書き初めで書いたものを左義長で燃やし その炎が高く上がると字が上達すると言われている。
■仕事始め(農初め,舟の乗り初め,初舟,初山入り,山初め)
■月ロケットの日⇒1959(昭和34)年、ソ連が世界初の月ロケット・ルーニク(ルナ)1号の 打ち上げに成功した。月から6500kmの所を通過して月面を観測した後 太陽の周囲を回る軌道に入り初の人工惑星になった。 その年2月に打ち上げられた2号は月に命中し、3号は月の裏側の撮影に成功、 1966(昭和41)年1月のルナ9号は初めて月面軟着陸に成功した。
■ 箱根駅伝⇒学生長距離界最大の駅伝競走で、東京・大手町から箱根・芦ノ湖までの 往路5区間、復路5区間の合計10区間・214.7kmで争われる。 関東学生陸上競技連盟(関東陸連)に加盟している関東の大学のうち 昨年の大会で9位までに入った大学と、予選会で勝ちあがった6校の 計15校が出場する。 1920(大正9)年に第1回大会が開催され、1956(昭和31)年からは 1月2日に往路、3日に復路を走るようになった。
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■瞳の日⇒眼鏡・コンタクトレンズの業界が制定。「ひ(1)とみ(3)」の語呂合せ。
■駆け落ちの日⇒1938(昭和13)年、女優の岡田嘉子と杉本良吉が、樺太の国境を越えて ソ連へ亡命した。
■戊辰戦争開戦の日⇒1868(慶応4)年、戊辰戦争が始った。 京都の鳥羽・伏見で旧幕府軍と薩摩・萩軍が戦闘したが 装備で劣る旧幕府軍は敗退し、5日後に徳川慶喜は海路江戸へ 向かい、新政府軍は慶喜追討令をうけて江戸へ進撃した。
■元始祭⇒天孫降臨・天皇の位の元始を祝って宮中三殿で天皇が親祭する祭。 1874(明治7)年から1948(昭和23)年まで実施されていた。
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■官公庁御用始⇒官庁で年末年始の休みが明けて、その年の最初の事務を執ること。 1873(明治6)年から、官公庁は12月29日から1月3日までを休暇とすることが 法律で定められており、4日が仕事始めとなる。 通常は1月4日であるが、土曜日・日曜日の場合は直後の月曜日となる。
■取引所大発会⇒証券取引所での新年初めての立ち会い。この日は午前中(前場)で 取引を終了する。かつては1月6日だったが、証券業界の業績不振から 少しでも営業日数を増やすために大納会が12月28日から30日へ 大発会が1月6日から4日へ変更された。 1月4日が土・日曜日の場合は、その直後の営業日となる。
■石の日・ストーンズデー⇒「い(1)し(4)」の語呂合せ。この日に、地蔵・狛犬・墓石など 願いがかけられた石に触れると、願いが叶うと言われている。
■金の鯱の日⇒1937(昭和12)年、名古屋城の天守閣から金の鯱鉾の尾の部分の 金板2枚が盗まれた。金板2枚でうろこ58枚分に相当する。 2日後の6日に盗まれたことがわかり、27日に盗みの前科がある 佐々木賢一が逮捕された。
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■囲碁の日⇒日本棋院が提唱。「い(1)ご(5)」の語呂合せ。
■いちご世代の日・いちごの日⇒「いち(1)ご(5)」の語呂合せ。 高校受験を控えた15歳の世代「いちご世代」にエールを送る日。
■シンデレラの日⇒1956(昭和31)年、グレース・ケリーがモナコのレーニエ大公と婚約した。
■魚河岸初競り⇒各地の魚河岸で競りを開始する。 新年の初物として御祝儀相場が附けられる。
■新年宴会⇒1874(明治7)年から1948(昭和23)年まで行われていた、天皇が豊明殿に出御し 皇族・大勲位・親任官・勅任官および外国使臣を召して宴を賜った儀式。 民間でもこれにならって、この日に新年を祝う会が行われていた。
■色の日⇒いい(1)ろ(6)」の語呂合せ。色に関係する職業の人の記念日。
■ケーキの日⇒1879(明治12)年、上野の風月堂が日本初のケーキの宣伝をした。
■佐久鯉誕生の日⇒1746(延享3)年、信州佐久の篠澤佐吾衛門包道が伊勢神宮の神主に 鯉料理を献上した日。この記録が「佐久鯉」の最古の記録とされている。 包道の子孫である篠澤明剛さんが制定。
■東京消防庁出初め式⇒年の初めに東京消防庁の消防署員らが消防動作の型等を 演習・披露する行事。 1659(万治2)年正月4日に、旗本が率いる#定火消[じょうびけしが 上野東照宮で1年の働きを誓ったこと由来とされている。
■六日年越し⇒正月七日を「七日正月」といい、その前日を年越しとして祝う。
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■七草粥⇒春の七種を刻んで入れた七種粥を作って、万病を除くおまじないとして食べる。 七種は、前日の夜、俎に乗せ、囃し歌を歌いながら包丁で叩き 当日の朝に粥に入れる。呪術的な意味ばかりでなく、おせち料理で疲れた胃を休め 野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能がある。
■人日⇒五節句のひとつ。古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗の日、3日を猪の日 4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日には その動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日として 犯罪者に対する刑罰は行われないことにした。 また、7種類の野菜を入れた羹を食べる習慣があり、これが日本に伝わって 七草粥となった。日本では平安時代から始められ、江戸時代より一般に定着した。
■爪きりの日⇒新年になって初めて爪を切る日。七草を浸した水に爪をつけ、柔かくして切ると その年は風邪をひかないと言われている。
■千円札の日⇒1950(昭和25)年、初めて千円札が発行された。 肖像画は聖徳太子だった。不出来の500億円分が廃棄された。
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■平成スタートの日⇒1989(昭和64)年1月7日の朝の昭和天皇の崩御を受けて 7日午後の臨時閣議で次の元号を「平成」と決定し 翌8日から新しい元号がスタートした。 「平成」は最初の年号「大化」以来247番目の元号で 初めて政令により新元号が定められた。
■勝負事の日⇒「一か八かの勝負」から。
■ロックの日・エルヴィスプレスリーの日⇒1935(昭和10)年にエルヴィス・プレスリーが 1947(昭和22)年にデビット・ボウイが生まれた日。
■外国郵便の日⇒1875(明治8)年、日本初の郵便条約がアメリカと結ばれ この日、横浜郵便局で開業式が行われた。 それまでは、横浜の外国人居留地にあったアメリカの郵便局が 外国郵便の業務を行っていたが、これを廃止して 日本政府が業務を行うこととした。
■鏡開き⇒正月に年神様に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を願う行事。 武家社会の風習だったものが一般化した。刃物で切るのは切腹を連想させるため 手や木鎚で割ったり、砕いたりする。また、「切る」という言葉をさけて 「開く」という縁起の良い言葉を使っている。 地方によって日が違い、京都では4日に、ほかに20日に行う地方もある。
■蔵開き⇒商売をする家で、新年初めて蔵を開き、商売繁盛を祈る。
■塩の日⇒1569(永禄11)年の、武田信玄と交戦中の上杉謙信が、武田方の領民が 今川氏によって塩を絶たれていることを知り、この日、越後の塩を送ったとされている。 この話が、「敵に塩を送る」という言葉のもととなった。
■厚生省発足記念日⇒1938(昭和13)年、戦局拡大で国民の体力向上を図る為に 厚生省(現在の厚生労働省)が発足した。2001(平成13)年の 中央省庁再編によって労働省と合併し、厚生労働省となった。
■スキーの日⇒スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが1994(平成6)年に制定。 1911(明治44)年、オーストリアのレルヒ少佐が新潟県の高田陸軍歩兵聯隊の 青年将校にスキーの指導を行い、日本人が初めてスキーを行った。
■桜島の日⇒1914(大正3)年、鹿児島県の桜島で、史上最大の大噴火が始った。 35人の死者を出し、流出した熔岩によって対岸の大隅半島と地続きになった。
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■阪神・淡路大震災記念日⇒1995(平成7)年1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする 兵庫県南部地震が発生した。 マグニチュード7.3で震源の深さは約14キロ。 神戸市・芦屋市・西宮市と淡路島の北淡町で初めて震度7の 激震を記録した。 大都市神戸を中心に阪神間の人口密集地を直撃し 鉄道・高速道路・港湾等の交通機関や電気・水道・ガスの ライフラインが壊滅状態となり、自宅を失なって避難した人は 最大で23万人に達した。 死者は、震災が原因で亡くなった人を含めると6000人を超えた。 負傷者は約42000人、倒壊家屋は約40万棟。被害総額は 10兆円にも登る。
■防災とボランティアの日⇒阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが 批判された一方で、学生を中心としたボランティア活動が活発化し 「日本のボランティア元年」と言われた。 これをきっかけに、ボランティア活動への認識を深め 災害への備えの充実強化を図る目的で、1995(平成7)年12月の閣議で 制定が決定され、翌1996(平成8)年から実施された。
■おむすびの日⇒米に関係する民間企業やJA等でつくる 「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が2000(平成12)年11月に制定し 2001(平成13)年から実施。 日附は公募で選ばれ、阪神大震災ではボランティアの炊き出しで被災者が 励まされたことから、いつまでもこの善意を忘れない為、1月17日を記念日とした。
■今月今夜の月の日⇒尾崎紅葉の『金色夜叉』の中で、主人公の寛一が熱海の海岸で 貫一を裏切った恋人のお宮に可いか、宮さん、一月の十七日だ。 来年の今月今夜になつたらば、僕の涙で必ず月は曇らせて見せるから と 言い放ったことから。この日の夜が曇り空になることを「貫一曇り」と言う。
可いか、宮さん、一月の十七日だ。 来年の今月今夜になつたらば、僕の涙で必ず月は曇らせて見せるから
■湾岸戦争開戦記念日⇒1991(平成3)年、アメリカ軍を主力とする多国籍軍がイラクとクウェートの イラク軍拠点に攻撃を開始し湾岸戦争が勃発した。 この日に設定されていた撤退期限が過ぎてもイラク軍が クウェートから撤退しなかったため、攻撃に踏み切った。
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■都バス記念日⇒東京都交通局が制定。1924(大正13)年、東京市営乗合バスが 東京駅への2系統で営業を開始した。
■振袖火事の日⇒1657(明暦3)年、江戸城天守閣と市街のほとんどを焼失し、死者が10万人にも およんだ明暦の大火が起きた。この大火は「振袖火事」とも呼ばれる。 これは次のような話による。 上野の神商大増屋十右衛門の娘おきくは、花見の時に美しい寺小姓を 見初め、小姓が着ていた着物の色模様に似せた振袖をこしらえてもらい 毎日寺小姓を想い続けた。そして、恋の病に臥せったまま明暦元年1月16日 16歳で亡くなってしまった。 寺では法事が済むと、しきたり通り振袖を古着屋へ売り払った。 その振袖は本郷元町の麹屋吉兵衛の娘お花の手に渡ったが それ以来お花は病気になり、明暦2年の同じ日に死亡した。 振袖は再び古着屋の手を経て、麻布の質屋伊勢屋五兵衛の娘おたつのもとに 渡ったが、おたつも同じように、明暦3年の1月16日に亡くなった。 おたつの葬儀に、十右衛門夫婦と吉兵衛夫婦もたまたま来ており 三家は相談して、因縁の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにした。 しかし、和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間 突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み それが燃え広がって江戸中が大火となった。
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■日本最低気温の日⇒1902(明治35)年、北海道旭川市で、日本の最低気温の公式記録 41.0℃を記録した。 1978(昭和53)年2月17日に幌加内町母子里の北大演習林で これより0.2℃低い-41.2℃を記録したが、気象庁の公式記録の対象から 外れていたため、旭川の記録が公式の日本最低気温となっている。
■中華まんの日・ホットケーキの日⇒日本最低気温の日に因み、寒い日には中華まんを食べて 暖まってもらおうと制定。
■左遷の日⇒901(延喜元)年、右大臣・菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に 左遷された。彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと 策略し「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言した。 これにより、天皇も道真のことを逆臣と思いこむようになり、901年1月20日に 菅原道真を太宰権帥に左遷、筑紫国に流罪とすることとした。 長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て 東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 主無しとて春を忘るな と詠み この日、都を旅立った。その梅は菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行って そこに根づいたという「太宰府の飛梅」の伝説がある。 菅原道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903(延喜3)年2月25日に亡くなった。
東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 主無しとて春を忘るな
■お詫びの日⇒1077年、神聖ローマ皇帝がローマ教皇に「お詫び」をした。 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はイタリアの支配を目指し、ミラノ大司教等を 次々と任命した。教皇グレゴリウス7世がこれらの教皇を無視した皇帝の行為を 激しく非難したのに対しハイリンヒは激怒し、直ちに諸侯を集めて 教皇の廃位を決定した。これに対して教皇も 1076年2月に皇帝の廃位と破門を宣言した。 破門の知らせを受けた諸侯たちは、次々とハイリンヒに叛旗を翻した。 そこでハイリンヒは、教皇から破門を解いてもらう為に、グレゴリウス7世が 滞在している北イタリア・カノッサ城を訪れた。 しかし、グレゴリウスはなかなか会おうとせず、カノッサ城外で悔恨の心を示すことを 要求した。ハイリンヒは1月25日から3日間、雪の中、裸足に粗末な修道衣だけの 姿で城の前に立ち続け、ようやく教皇の赦免を受けることができた。 これを「カノッサの屈辱」と言う。 しかし、赦免を受けた皇帝は巻き返しを謀り、教皇との対立は 再び激化して行った。この争いは以降約半世紀も続いた。
■生命保険の日⇒1881(明治14)年7月に日本初の生命保険会社が設立され 翌1882(明治15)年のこの日、受取人第一号が現れた。 この年の1月20日に心臓病で急死した警部長で 遺族に支払われた保険金は1000円、当人が払った保険料は わずか30円だった。
■愛妻家の日⇒日本愛妻家協会が制定。 1月の1をIに見立て、「あい(I)さい(31)」の語呂合わせから。
■晦日正月・晦日節⇒正月最後の日。 この日に、松の内に年始回りをしなかった家を訪ねる地方もある。
箱根駅伝.... 若い頃はほとんど見なかったのに ここ10年ほど毎年見ています(テレビで) 何故か飽きないんだなぁv(^^)v
今日は何の日〜毎日が記念日〜 より引用
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